そういう体中心の生き方よりももっと大事なことは、目に見えないところに実はこころというものの修行があって、この幻であるからだをどちらへ持っていくか、そこに意味があるということです。人生の主人公は、主体は、どこまでも「こころ」なんだということです。自分自身との対話ということは、ごく普通のこと、この世を生きていくためには、自分自身との対話をしていかないとやっていけないだろうと思うのです。