私という存在が、今日もここにあるということが、すでに奇跡である。そう、存在そのものが奇跡なのだ。だから、私たちのまわりにはたくさんの奇跡が起こっている。
しかし人間は、自分にとって都合の良い奇跡だけを取り上げて、奇跡だ奇跡だと騒ぐ。やがてすぐに、その奇跡も、あたり前に思うようになる。さらに、もっと自分にとって、都合の良い奇跡が起こらないかと期待するようになる。
重要なことは、自分にとって都合の悪い奇跡も、自分にとって都合の良い奇跡と同じくらいに、たくさん起こっているということである。
奇跡は、人間誰にでも、平等に起こる。都合の良い奇跡は励ましであり、都合の悪い奇跡は修行である。都合の良い奇跡と都合の悪い奇跡は、同じ数ほどある。
要するに、自分にとって都合が良いと思うか、都合が悪いと思うかで、その奇跡がどちらかの奇跡になるにすぎない。
HMU 達弥西心